武者のぼり旗の由来

武者のぼり旗の起源は、「戦国武将の旗指物」にあるそうです。室町時代末期の武家社会には「家紋を染め抜いたのぼり旗」を端午の節句に飾る風習があったようで、この武家の風習を庶民が真似、端午の節句に武者のぼり旗を全国各地で立てるようになりました。

武家ののぼり旗は家紋のみの場合が普通でしたが、それに比べ庶民ののぼり旗は「鍾馗、金太郎、武者絵」などが描かれ、お祭りの賑やかな雰囲気を一層引き立てました。

様々な図柄が描かれたのぼり旗が町中に飾られた景観はさぞかし見事だったでしょう。のぼり旗の図柄は、大人が子供に「幸せな人生を送ってほしい」という願いを込めたもので、願いが天にのぼり旗通じるように細長いのぼり旗に描いた、心願成就のための用具だったようです。

現代ではその図柄に武者絵が多い事から、通称「武者のぼり旗」と呼ばれていますが、実際には「絵のぼり旗」「節句幟」と呼ぶ方がより正確のようです。

江戸時代の絵のぼり旗

江戸時代、のぼり旗に絵を描いていたのは染物業などの職人だと思われますが、浮世絵師や狩野派などの画家も注文に応じてのぼり旗を描いていたそうです。

葛飾北斎の描いたボストン美術館所蔵の「朱鍾馗図幟」は日本でも公開され話題ののぼり旗になりました。また絵心のある農民が、農閑期を利用してのぼり旗に絵を描いた例も多かったようです。手描きののぼり旗は高級品でしたので、お祝いなどでは庶民は各家庭で自分で絵を描いてのぼり旗を飾ったそうです。

歌川派などの浮世絵師による、木版画の組み立て式ミニ絵のぼり旗も、数多く出版されています。江戸期は木綿が貴重で高級だったため、普通のぼり旗というとその頃は紙製だったと言われています。

木綿製の丈夫なのぼり旗が普及したのは、江戸期以降なのだそうです。残念ながら紙製ののぼり旗は耐久性が悪いため、現存している当時ののぼり旗はほとんど残っていないのだそうです。

鯉のぼりと武者のぼり旗

端午の節句で飾る鯉のぼりですが、ひと昔前まではのぼり旗に勇猛で精悍な武者の絵を描いた「武者のぼり旗」を飾るのが主流だったそうです。

現代では描かれるその図柄に武者の絵が多いことから、武者のぼり旗と呼ばれていますがこれは武者や武家のみに飾ることが許されてたものという意味ではなく、実際には、絵のぼり旗、節句織と呼ばれていたそうで、武者以外にもさまざまな図柄が描かれていたそうで他にも、五月織、小旗、矢旗などとも呼ばれていました。

武者のぼり旗は図柄を描く職人が専門にいたかどうかはわかりませんが、普通の庶民はみな、自分たちで絵を描いて飾りました。また、当時ののぼり旗は紙で出来ていることが多かったため、現代に現存している庶民ののぼり旗はほとんどなく、研究もあまりされていないそうです。

私個人としては当時の庶民が描いたとされるそののぼり旗を一度見てみたいと思うのですが、それは難しそうで残念です。