私のお祝いの鯉のぼり

先日実家で、私が小さい頃に飾ったとされる鯉のぼりが出てきた。私の家はとある商売をしており、また私が産まれたのが、
唯一の姉から15才も歳が離れて遅く産まれてきたので、商売付き合いの方々や親戚などから随分とお祝いの品が贈られだらしい。

その中でもとくに鯉のぼりはお祝いとして、さまざまな方から贈られてきたそうで、私も当時の写真を見たことがあるが、ものすごく大きく立派な鯉のぼりを、大量に庭に飾っていた。


それはそれは精悍だったそうで、近所の間でも話題になり、わざわざ遠くから見にくる人もかなりいたのだそうで、私が大きくなってからも、近所のお年寄りの方からは、当時の私のお祝いの鯉のぼりの話をよく聞かれてた。 先日出てきたその鯉のぼりは母親に話を聞くと、これは飾りきれなかったもので、一回も使っていない新品だと言っていた。


私はそんな様々な人に祝われていたのに、今はこんなんでいいのだろうかとその鯉のぼりを見ながら悩んでしまうのであった。

訴えるのぼり旗

デモ行進で一番目立つものと言えばやっぱりのぼり旗ですよね。訴えかけたい言葉をのぼり旗にして掲げ、集団で行進する様はとても目立ちます。

デモという言葉で連想されるのはやはり、60年の安保闘争でしょうか?私は教科書などでしか知りませんが戦前戦後で最大級のデモであり、数えきれないほどののぼり旗が作られ、国会議事堂を包囲しました。デモに参加していた人たちの主流は大学生で、死亡事故も起こってしまうほどの熱気だったそうです。

のぼり旗と言うと今はやはり店先などで店舗や商品をアピールするのに使用されるのが一番多いと思いますが、自分の主義主張を明確に訴えかけるのにもとても有効です。今は若者がのぼり旗を作りデモに参加し、何かを熱く訴えるということがあまりないようですが、安保闘争の頃の若者のほうが、より若者らしいと言えばらしいんじゃないかと思います。

日本独特ののぼり旗

様々な場所の店頭やイベントで広告として掲げられているのぼり旗は日本人にとってはもうお馴染みですが、こののぼり旗の歴史は意外にもとても古く、歴史の教科書にも載っている「魏志倭人伝」や「日本書紀」にもそののぼり旗のようなものの記載がされているようです。

しかしそんなのぼり旗も人々の間で定着したのは、戦国時代からだと言われています。武将たちが戦をする際、敵と味方を見分けるためや、大将が遠くからでも戦の優劣を見極めるために使われていました。「風林火山」や「毘沙門天」などが有名ですよね。

それより以前はのぼり旗は横長のものが主流だったそうです。もともとは中国大陸から伝わったものだし、中国の歴史映画を見ても、戦のシーンなどで横長ののぼり旗を見かけますね。あれはのぼり旗というよりは旗と言ったほうがいいのかもしれませんが。とすると、縦長ののぼり旗はやはり日本独特のものなのでしょうね。